帰国後の旅の感想  9月4日

帰国後の旅の感想  9月4日

3か月の旅はきつかった。

旅の期間 6月8日から9月1日 82日間

訪問した国
ドイツ、オランダ、ベルギーー、フランス、
スペイン、ポルトガル、スイス、イタリア、
バチカン、ギリシャ、トルコ、ブルガリア、
クロアチア、ボスニア・ヘルチェゴミナ、
ハンガリー、オーストリア、チェコ、デンマーク、
ノルエー 19カ国 約40都市

観光名所は忘却のかなた。

ネットは日本語の日本と繋がっているので
大変遅い。

英語はドイツ、ベルギー、オランダでは通じるが、
他国の返事は母国語で返ってくるので分からない。
その場の状況とゼッシャで理解する。

気温35度の中を1日4~6時間歩くと
汗が噴き出して疲れる。
利尿剤はいらない。
現地の人は汗をあまりかかず、
ハンカチも持たず汗を拭かない。
特に石畳のため、足の裏が固くなり
亀裂が入り痛くて歩きづらかった。

帰国後はすぐ処理しなければならないことを
処理してしまつた。
やはり屋久島で暮らすことには
男手が要ることを
家内は痛感したようである。
私の旅も3か月ではなく、
体力的にも家事対処のため
1か月ぐらいが適当であると思った。
外の作業は蚊と雨で当分する気になれない。

クレジットカード不正使用は90万円で
クレジットカード会社が対処して私には
負担がないが、カード再発行になる。
クレジットカード使用の定期支払先には
停止と再発行を通知した。
皆さんも支払明細は要チェックです。
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クレジットカード不正使用
http://card-chie.com/fuseiriyou.html

http://card-professor.jp/entry-16/

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猫も慣れて、纏わりつくようになった。
餌をくれる人を認識したようです。
いつもそばで寝ています。
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ヨーロッパを回り「民族と民族闘争」、
「難民と不法移民」の問題を痛感した。
社会的摩擦が起こり、
差別と社会不安が起こる。
乞食と浮浪者の多さが目につく。
日本の残留外国人は200万人で1.6%あるから
今のところ問題はないが反日の中国人、
朝鮮人の永住者が100万人と多い。
特別永住者の朝鮮人の高齢化で減少傾向にある。
しかしヨーロッパから見れば微々たる数字である。
移民の経験のない日本はこれからの
移民政策を宗教と文化の面からも考えないと
文化の維持が難しくなる。
人口が減るのであれば、その人口で国を
維持できる体制と制度を作るべきである。
明治3000万、終戦時8000万人の
人口であった。
老人福祉ではなく若者の福祉を考えなくては
国は発展しない。

日本でも難民問題が起こりえる。
朝鮮と台湾で紛争が起こると
日本への難民が押し寄せてくるであろう。
さらにヨーロッパでの難民の割り当て依頼である。

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済州島四・三事件は韓国国民に知らされていない。
済州島四・三事件(さいしゅうとうよんさんじけん)は、1948年4月3日に在朝鮮アメリカ陸軍司令部軍政庁支配下にある南朝鮮(現在の大韓民国)の済州島で起こった島民の蜂起にともない、南朝鮮国防警備隊、韓国軍、韓国警察、朝鮮半島本土の右翼青年団などが1954年9月21日までの期間に引き起こした一連の島民虐殺事件を指す[2]。
韓国政府側は事件に南朝鮮労働党が関与しているとして、政府軍・警察による粛清をおこない、島民の5人に1人にあたる6万人が虐殺された[3]。また、済州島の村々の70%が焼き尽くされた[3]。また、この事件は麗水順天の抗争の背景にもなった。
歴史的に権力闘争に敗れた両班の流刑地・左遷地だったことなどから朝鮮本土から差別され、また貧しかった済州島民は当時の日本政府の防止策をかいくぐって日本へ出稼ぎに行き、定住する人々もいた。韓国併合後、日本統治時代の初期に同じく日本政府の禁止を破って朝鮮から日本に渡った20万人ほどの大半は済州島出身であったという。日本の敗戦後、その3分の2程は帰国したが、四・三事件発生後は再び日本などへ避難あるいは密入国し、そのまま在日韓国人となった人々も多い。日本へ逃れた島民は大阪などに済州島民コミュニティを形成したが、彼らは韓国人コミュニティからは距離を置いた。済州島では事件前(1948年)に28万人[8]いた島民は、1957年には3万人弱にまで激減したとされる[9]。
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ヨーロッパの都市の汚さを痛感した。
これは移民と不法移民と大いに関係する。
日本は一民族で統制された大変美しい国である。

移民と香辛料で空気が臭い。
体臭までが臭い。
体に香辛料が染み付いている。

料理は香辛料を沢山使うので、
材料の味がない。
それほど新鮮ではないということである。
肉類は中まで火が通りパサパサである。
美味しいものはなかった。
野菜料理がない。あれば香辛料のスープか
ごった煮である。

日本料理店はほとんど中国、韓国経営で
寿司の面影はない。

日本製品をめったに見ない。
カメラはほとんどニコンかキャノンである。

ヨーロッパは鍵で侵入を防ぎ、
あらゆるものに鍵がかかっている。
窓も小さく外部からの侵入を防いでいる。
日本のように解放的で、
外に自動販売機がある国はない。
そういう意味で日本は無防備な国である。
それほど安全であるとも言える。
安全ボケで安保、防衛となると、
感情的に反対運動が起こる。
有史以来人間は戦争の歴史を持っている。
正義と話し合い交渉で戦争は防げると言う
人がいるが、戦争は欲と感情で起こるので
正義と話し合い交渉では戦争は防げない。

 乾燥した平原であり潤いがない。
日本は大変蒸し暑いが、雨のおかげで緑と
綺麗な川が維持されている。

ヨーロッの女性は下着が透け透けで
色と形まで見える服装であるが、
すらりと足が長く美人であるが、
年齢を取ると変貌する。
おっぱいが大きい美人に惑わされると
先で後悔する。
巨漢の相撲取りが歩いている様相である。
観察するとおっぱいが大きい人が
肥えている。ペチャパイはスリムである。
年齢を取ってもペチャパイはスリムである。
日本人は足が短くスタイルは悪いので、
服装ではなく、頭の中身で勝負である。

乾燥したヨーロッパの服装が
日本で用いられているが、
蒸し暑い日本には適合しないと思う。
よくも我慢して着ているものだと!
日本の気候に合った服装が求められる。
男もスカートは涼しくてよい、
その例が袴である。薄い腰巻も良い。
デザイナーの皆さん!
袴と腰巻で日本の服装をデザインしてください。

今の為替レートでは北欧以外の
ヨーロッパの物価は安い。特に食料品が安い。
日本は第三次産業に人口が多くて
労働効率が悪い。この悪い労働効率で
富の分配をおこなっている。
しかし日本の生鮮食料品の豊かさを感じた。
物価の高い安いと感じるのは為替レートで
換算するからである。
ただ肉類は大変安い。
豚肉は100g40円ぐらいである。


農地は大平原で耕作されている。
ただ雨が降らず、雑草までもが枯れていた。
日本は雨の恵みを享受している。

ヨーロッパの広い台地で機械化された産物に
太刀打ちできない。見事に耕作されている。
日本は山間部農業、兼業農家の
農業では土地の集約化による機械化農業は出来ない。
活きる道は高付加価値の生産物を作ることである。
ただし緊急事態に備えて米と大豆だけは
でんぷん質とたんぱく質の備蓄作物として
政策的補助生産物で生産されるべきものである。

 資源と大平原のあるヨーロッパに比べ
資源もなく山間部農業の日本は
技術立国しか生きる道がない。
金融と商業にあまり依存すると
国は衰退する。

8月31日小倉の飲み屋
70歳、体重66kg、体調良好。
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