蕎麦とうどん 26日

半世紀前の話、大東亜戦争敗戦は1945年である。東南アジアはイギリス、オランダ、フランス、アメリカからの独立も始まった。東南アジアと比べて台湾と朝鮮は近代化されて独立方向に向かった。1944年北九州生まれで、小さいころから乾麺を茹でた素うどんを食べていたので、蕎麦を食べる習慣がなかった。学校給食は脱脂粉乳の時代である。私は蕎麦を実際に食べたのは、1978年北九州から東京に転勤したころである。うどんとラーメンに比べて蕎麦を美味しいとは思わなかった。さらに社会人になって東京に出張に行って真っ黒なだし汁でうどんを食べたが塩辛く、だしが薄く美味しくなかった。
そこで関西と関東は食文化が違うことが分かった。
関西の素うどんはだし汁が透明で、だし汁まで飲んでしまうが、関東ではだし汁はあまり飲まないようである。東京から北九州への出張時、新幹線新大阪駅の2階の立ち食いうどん屋に寄るのが楽しみであった。17年間関東に住んでいたがあまり昼食でウドンそばを食べず、会社ビルの地下1階で長蛇の列が並ぶ美味しいスパゲティーを食べていた。うどんは家で茹でうどんと自家製だし汁で食べていた。
今でもうどんは外食せず家で作って食べている。時々天婦羅かけ蕎麦が食べたくなる時は栗生松竹蕎麦屋に出かける(年2回ほど)。パカラさんの細い手打ち蕎麦か栗生松竹蕎麦屋でのかけ蕎麦は美味しい。Aコープの茹で蕎麦(蕎麦30%、小麦70%)は蕎麦の味がしない。
屋久島の宮之浦に中華料理店龍鳳を見つけた。どんな中華料理があるか楽しみである。
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他から抜粋記事
脱脂粉乳とアメリカの占領政策 
占領政策の一環とはいえ、日本人の生命や生活を護るため、軍事予算から援助資金が出された(ガリオア資金:占領地域救済政府資金GARIOA =Government Appropriation for Relief in Occupied Area)。この資金で、脱脂粉乳や雑穀類が日本へ送られた。援助額は16億ドル弱。ガリオアは消費物資を,エロアは経済復興のための工業原料・機械類の提供を目的とする。同援助資金は1952年の対日講和発効後は打ち切られ,'62年返済に関する協定が調印され,4億9000万ドルの債務は,15年均等払い,年利2.5分で返還されることになった。1973年に還付した。
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