中華民国(台湾)旅行記 1  2018年11月


12月4日朝から南風吹き09時23℃と温かい。

中華民国(通称台湾)10月8日出発で
10月22日帰宅しました。
体重66㎏が63kgで3㎏痩せました。
歩き運動か食事不足なのかわからない。
帰宅するとすぐに66㎏に戻りました。
台湾で野菜不足で硬い糞詰まりが帰国後解消。

旅行前にPCを修理に出していたものが返ってきて、
チェックせずに出て行った。
帰ってから、このデスクトップPCを操作したところ、
立ち上がりに3分、シャットダウンに1分かかる。
修理屋さんからWindows Live Mailを正常に戻すのに
ひとつ前のWindows10 OSに戻したら正常になったと聞いた。
さらにMicrosoft office が2003から2010に代わっていた。
ソフトが変更になったので使いずらく、Wordは保存制限、
読み取りのみなど経験したことがない操作で
保存ができないことが多々ある。
さらにネットがつながらない時がある。
調べるとLanケーブルではなくデスクトップ裏側の
Lanコネクターの不具合だと分かった。
この部品はLanコネクターとUBSコネクター4個の一体部品である。
それでUBS無線コネクターを購入して使えるようにソフトを入れた。
無事Wifiネットにつながった。
これで1台の無線ルーターで4台のPCが
動くことになった。同時にpcを使うことはない。
でもまだまだもとの操作と速度にするには時間がかかる。

どうにか使いこなして、
台湾旅行記をまとめたところA4で24ページにも
なりましたので、ファイルを添付して知り合いに送信した。
ところが送信が止まってしまった。
あまりに添付ファイルが長いので送れないと思い、
添付ファイルを5分割して、5分の4を切り取り、
別のファイルに切り取りでコピーしようとしたら
途中で消えてしまった。
旅行記が5分の4がなくなったので、
再制作しなければならなくなった。

中華民国(台湾)旅行記 1  2018年11月
1から5に分割記載。

このレポートは私が見学して動いた線の景色を見た主観的なものであるからこれが台湾(中華民国)だと信じはならない。10%ぐらい真実であろう。おかしいな?疑問?と思ったことは後で、ネットで調べると、疑問が解た。旅行で見たことより、そこで疑問に思ってネットで調べたものの方の収穫が多かった。
「言葉として文化とは人の営みの意味」

私60歳で2004年5月2週間かけて中華民国を一周して文化を見て回った。鹿児島から船で奄美、徳之島、沖縄、久米島、宮古島、石垣島、与那国島と3週間かけて文化を観て回りながら南に下り、与那国で通関を受け台湾の基隆に入り、台湾の東側から西側に一周して2週間旅をした。その頃台湾の老人は日本語を話して意思の疎通ができた。帰りは鹿児島へ船で1泊して帰宅。

14年後の2018年に台湾がどのような変化を遂げたのか見るため、JAL無料マイレジで鹿児島から台北へ空路を探すが直行便がない。福岡も探すが空路がない。調べると鹿児島も福岡もJALと中華航空とのcode sharing便であるから無料マイレジでは乗れないことが分かった。このシナと台湾の微妙な関係で鹿児島と福岡から湾に行くのにJALマイレジの路線は関空か羽田経由でしかJALマイレジでは行くことができない。

TaiwanとChinaは微妙な関係で台湾と日本の関係もややこしくなる。シナの語源はBC200年前の秦(チィン発音が難しい)の語源でインドにわたりシーナとなりヨーロッパに広まり色々な発音に変化した。China、chineなどシナ語源の呼び方であり。東シナ海、インドシナも使用している。シナを中国というのは日本だけである。日本以外の呼称chinaに中国は難癖を言わない、戦前は中国本土の呼称は中国自身シナと言っていた。戦後一時期は中共とも呼ばれていた。中華民国が連合国の一員として第二次世界大戦の戦勝国になると、蒋介石は日本だけに、「今後は我が国を中華民国と呼び、略称は中国とするよう」主張した。1946年(昭和21年)6月13日公表(6月6日通達)の「支那の呼称を避けることに関する件」という外務次官通達が行われ、「中華民国の呼称に関する件」という外務省総務局長通達を公告した。ということは中国とは台湾のことである。これは屁理屈である。

8日屋久島から鹿児島、伊丹、関空、台北桃園空港と乗り継ぎ12時間かけて8日21時到着。台湾では新幹線で一気に1時間半で高雄に行き、在来鉄道で台南と台中台北、基隆と北上しながら、在来鉄道と地下鉄、バスを使い12間台湾を見学した。帰りは20日台北松山空港から、羽田経由で鹿児島に着き2泊、鹿児島医療センターで心臓弁膜症の定期検査(OK)を受けて22日帰宅した。

荷物9㎏
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8日21時に台湾桃園空港に着くと、ほとんどが外国人の列に並んだ中国語を話す中国人のような人たちである。白人、黒人、アラブ系はいなかった。空港の外に出ても外国人がいない。ここが欧米、日本と違うところである。
日本が欧米のように外国人労働者と不法移民を受け入れる法案ができると欧米のようにゴミとスラムの社会になると予想される。
到着が夜で、空港から地下鉄に乗って台北駅へ行くが出口を出ると自分がどこにいるのかわからない。ここにも外国人はいなく、欧米と違ってゴミがない。多くの人に聞いて1時間かかり、やっと宿に着いた。分かれば宿は駅の入り口はすぐ傍であった。

台湾人
「台湾には17世紀以降(明末期から清初期)、対岸の中国から漢民族の移民が本格化し、福建省からのビン南(びんなん)人や、福建省や広東省などの中国南部にいた「流浪の民」と呼ばれる客家(ハッカ、華僑)人が、戦前に定住。これらの人々は「台湾省の人々」という意味で本省人と呼ばれ、戦後組(1945年以降)の外省人とは区別されている。」
戦後政府関係は外省人が実権を握っていた。本省人と外省人の対立があり、その上台湾語(ホーロー語)と北京語で対立があった。14年前、老人は台湾語で孫は北京語で意思の疎通が難しいと嘆いていた。

中華民国の概要
台湾の面積は九州(人口1300万)ぐらいで、2400万人。東側では山が押し寄せているが、西側(大陸側)は北から南まで30~50kmの平野が広がり、海岸線からは山が見えない奥行きである。とにかく広い。都会に人口が密集していることがわかる。
水田
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ココナッツらしき畑
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日本統治
「日清戦争の結果下関条約によって台湾が清朝(当時の中国)から日本[に割譲された1895年(明治28年)4月17日から、第二次世界大戦の結果ポツダム宣言によって台湾が日本から中華民国に返還された。1945年(昭和20年)10月25日までの50年間の日本国時代である。」統治時代にかなりのインフラ整備がなされていたようでる。それから70年、統治時代の建物は破壊されることなく残されて今でも使用されている。韓国のように日本憎しで壊されてはいない。

台湾総督府
日本にもない壮大な建物である。
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北郵便局
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どこに行っても外国人の姿はない?女性は小柄であると見たが、ネットで調べると身長は男女とも日本人と変わらない。顔は南では角型で北はほっそりしている人が多い。スラリとした人は少ない。今の蔡 英文総統が台湾の一般的な体系と顔立ちである。
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ネット調査
台湾の労働者不足。
外国人労働者は100万人ぐらいで、昼は内部職場で働いているので昼間に公開の場で私が見なかったはずである。日本のように単純労働である時給450円の職場であるレストラン、スパー、飲食店、コンビニ、店舗では外国人はいなかった。
https://news.yahoo.co.jp/feature/844
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「現在、台湾で働いているホワイトカラーの外国人は3万2千人。これに対して、ブルーカラーの外国人は67万人に達する。その内訳は、2017年11月末時点で、工場などで働く製造業で約40万人、建築業と漁業で約2万人、介護が約25万人だ。介護分野における外国人の国籍は、インドネシアが約4分の3と最多で、フィリピン、ベトナムがそれぞれ約3万人と続く。日本における介護分野の人手不足は深刻だ。誰がこの仕事を担うのか、同じ東アジアで、この問題でひとつの解を見出そうとしている国がある。それが台湾だ。インドネシアやフィリピンなどから家庭滞在型の介護人材を積極的に受け入れ、いまやその数は20万人を大きく超える。社会全体が「外国人と共に生きる」ことを選択した台湾は、日本の未来を考える教材だ。」
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